Margueite Diary

年3回発行している『マーガレットプレス』のメンバーとその周辺の筆者による小さなコラム。過去のダイアリーはこちら→http://mpress.exblog.jp/

2010年2月

今日の西アフリカ

[丹保昌子]

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実は今、日本に居ます。
日本の寒さにとても驚いています。連日5度以下!最低気温20度の熱帯から来た身としては、異世界に等しいです。太平洋側独特の連日晴れ陽気を期待していたのですが、連日のどんより曇り空、寒風。しかし大きく深呼吸をすると、その中にも微かに春の匂いがします。ああ、あんなにも焦れていた日本の植物の発する香りは、こんなにすがすがしいものだったなあと、はっきり思い出すことができました。
何年かぶりに見る梅の可憐さ。ムスメは憧れだった本物のチューリップの切り花に感動し、厚い雲に覆われた空でさえ愛おしい。
そんな中、重い病を得た舅を自宅で見送りました。見知った幾人もの人が「帰天」しましたが、向こうに行こうとする人を見守るのは初めてのことでした。
舅は私たちの帰国を一筋の光として待ち、再会を喜びあいました。そして、その四日後の旅立ち。この間、家族で過ごすことが出来た、この濃厚な時間を忘れることはできません。
2010.02.21 09:44

今日の古本

[小栗誠史]

 ときどき、「どうして古本を集めるようになったのか」と訊ねられることがあります。僕の場合は一冊の本との出会いがきっかけでした。
 学生の頃、僕は池袋の某大型書店でアルバイトをしていて、そこにはSさんという社員がいました。面倒見のよい人で、気が向くと本を勧めてくれたり、本にまつわるあれこれを教えてくれる師匠のような人でした。
 ある日、Sさんに文庫売り場に連れて行かれて「これ読んでみるといいよ」と手渡されたのは、ちくま文庫から出ているレオ・レオーニの『平行植物』でした。レオーニと言えば『スイミー』しか知りませんでしたが、言われるままに買って帰り、アパートで本を開いてみて、控えめに言ってとても驚いたのです。
 ページをめくるとまず細密な平行植物たちの図版が現れますが、それらは言われなければ植物とは思えないような姿をしています。平行植物とは何か、疑問を持たずにはいられなくなります。続いてレオーニ自身が平行植物について解説をするのですが、その中で平行植物のことを「植物である前にことばであった植物たち」だと言います。意味がよくわからないまま、その洒落たひと言にガツンとやられます。
 この本の大きな魅力は、平行植物というのはレオーニが創造した架空の植物であると冒頭で述べられているにも関わらず、本文を読み進めていくと虚実が入り混じり、どこからどこまでが作り話なのかわからなくなってくるところにあると思います。なんとも不思議な本で、未だにその内容を理解するには至りませんが、いつページをめくっても想像力を刺激してくれる本であることは間違いありません。
 翌日、Sさんに感動を伝えると、「親本(注)も探してみるといいよ」とあっさりと新たな課題が与えられました。これが足繁く古本屋に通うようになったきっかけだったと思います。
 『平行植物』の親本は版元が工作舍、海外のペーパーバックのような装幀ながらチープにならないデザインは羽良多平吉によるものです。どちらも古本好きにはたまらない名前で、そんなこともこの本から知りました。初版は1980年とそれほど古い本ではありませんが、見つけるのに苦労しました。当時はインターネットも今ほど普及していなかったのでずいぶん探し歩きましたが、歩きまわることで知らなかった本をたくさん見ることにもなりました。本以外にも覚えたり発見したりすることがありましたが、それはまたいずれ。
 ある本から派生した興味がさらにいろいろな本に繋がっていく快感。それは一度味わってしまうと止められないのだ、ということを知った一冊です。

注:文庫(子)に対して単行本を親本と言います。

2010.02.15 08:31

今日の本屋

[坂本真衣子]

 1月は、職場である書店で担当している棚の本、そしてフェア用の商品の注文に追われ怒涛の勢いで過ぎたひと月でした。店で任されているのは海外の書籍です。そうとは言っても、同僚達が国内のベストセラー本確保のため、必死にあちらこちらに電話をかけているのを横目に、「次はどんなテーマで本を集めようかなー」などとつぶやいているとなんとなく、こちらの「怒涛の勢い」との違いを感じ、後ろめたい気分になります。
 洋書にももちろんベストセラーはあり、その確保に汗を流すこともあるのですが、それ以外のものについては割合好き勝手に仕入れをしています。小さい規模の書店なので、定番ものを置くというよりは、その時々でテーマを(自分の中で)決めて、2ヶ月スパンくらいで商品が回転するよう構成しています。
 洋書の仕入れ方は様々ですが、取引先に直接足を運ぶ場合もあります。倉庫のような場所に行って本を選ぶのです。先日、絵本の仕入れに行き思うままに本を集め、「どんな感じになったかなー」と眺めていたときのこと。今回は90種類、300冊ほどの冊数になりました。実際に入荷しないと全体を把握できない和書とは違って、店頭に並ぶ前にこうして目の前で確認できるのはありがたいような気もします。そしてそこにある本の塊は、思っている以上に自分の好みを反映していました。
 好みを反映しているとは言っても、「個人的な好き」とは違います。担当になりたての頃は右も左もわからず、ただ「自分の好きな本」を仕入れていました。それでは広がりがない、ということがその頃はわからなかったのです。今でも胸を張れるほどの自信はないのですが、何らかのトーンが共通しつつも、昔ほどひとりよがりではない本を選べるようになったのではないかと思っています。
 現在、わたしが製本している本はまだ、「個人的な好き」に近いものだろうと思います。でもいつかはそれだけではない本が作りたい。好き嫌いがはっきりしているのはいいことだと思うのですが、他のものを完全に拒絶するのではなく、受け入れるような本を作りたい。マーガレットプレス編集長の村椿菜文さんは、製本について個人的な注文は一切つけない人です。ただ、彼女からはひとこと「間口の広い本を作って欲しい」と言われています。また難しいこと言って、と笑いつつもその言葉に応えることが出来るよう自分の作るもののトーンを把握し、沢山の本を見て、手を動かし続けてゆこうと思います。
 もうすぐマーガレットプレス春号の製本がはじまります。季節をひとめぐりしたんだな、と寒さにうんざりしつつも嬉しくなりました。

2010.02.04 19:54

今日のギモン

[大石俊六]

カンセー学院大学 

 引き続き京都ネタです。関東に住んでいるので一回京都に行くと発見が多すぎるのです。
 京都市街の東側には京都大学のキャンパスがあります。その向かいに関西日仏学館という建物があります。フランス政府が作った語学学校で、看板にはフランス語で「L'Institute franco-japonais du Kansai」と表記されています。「L'Institute」が「学館」、「 franco-japonais」が日仏、「du Kansai」が関西であります。私が注目したのはその中の「Kansai」です。
 パソコンだと表示できないのですが、最後のiの頭の点が小さい「へ」の形になっています。フランス語では通常、「ai」を「エ」と読みます(Je t'aime=ジュテームとか)が、Kansaiのように外国の固有名詞の中にはaiと書いても「エ」と発音しないものもあって当然です。そのような名詞ではiの頭の点をへの字に変えて、「カンサイ」のように読ませるルールになっています。
 ここで突如としてかねてからのギモンの一つ、
「関西学院大学はなぜ『カンセーガクインダイガク』と呼ぶのか」の答えが思い浮かんだのであります。私はこの大学とは何の縁もないのですが、なぜ「カンサイガクイン」と呼ばないのか、長年モヤモヤしていました。私の推測はこうです。
1 関西学院大学は明治時代に外国人宣教師によって設立されたミッションスクールである。
2 日本人がそのローマ字表記を決めるにあたり、「関西」の部分を素直に「Kansai」と表記した。
3 それをフランス人宣教師がフランス語読みして「カンセー」と呼んでそれが定着してしまった。
 なるほどきっとそうに違いない!
 私はこの完璧な推察に自信を深めて新幹線で家に帰ったのですが、大学のホームページで調べてみると、これはまったく間違いでした。
 まず関西学院大学はアメリカの教会のミッションスクールで、とりあえずフランス人は関係ない。
 次に、関西をカンセーと呼ぶのは、地名を漢語風に読むという当時の流行に習ったもので、関西を漢語読みすると「クヮンセイ」となる。だからこの大学のローマ字表記は「Kwansei」である。 
 うーん、遠大な勘違いであった。
2010.02.03 12:12

今日も珈琲

[廣瀬義智]

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1月31日を持ちまして写真展「drinks up」が無事終了しました。

たくさんの方のご来場ありがとうございました。

カフェでの展示は始めてでしたので、多くの学びと反省がありました。カフェに足を運んだ人がたまたま展示したあった私の写真を見てどんなことを感じたのか?そんなことをカフェに居るときに観察していました。写真を目にしたカップルが珈琲の淹れ方について話を始めたり、作品のなかの珈琲と煙草が一緒に写ったものをみて「やっぱり珈琲と煙草は切っても切れないね」なんて話をしたりしていた男性の光景を見ることができました。珈琲は嗜好品で人それぞれに楽しみ方があります。豆にこだわる人、お気に入りのカップで飲む人、ただ飲めればいいという人、それぞれの光景があります。今回の作品群は僕の日常でした。そういう観点から考えると作品が足りなかったと思いました。15点の展示でしたが、結果的には30点ぐらい飾ってあって、量で圧倒するということもできたかなぁと感じています。

期間中の二週間、会場のrain on the roofでは、私が焙煎した珈琲豆をつかって珈琲を提供してくれました。当初用意した豆では足りず販売用の豆を使うほど珈琲のオーダーがあったとうかがいました。焙煎家としてはうれしい限りです。

写真を撮ることも焙煎することもまだまだ修行の身。また精進を続けます。これからもよろしくお願いいたします。

 

最後になりますが、今回の展覧会をするにあたり応援してくれた永井さんやワークショップのメンバー、rain on the roofの中島さんをはじめとするスタッフの皆様に感謝しています。

本当にありがとうございました。

2010.02.02 10:35

今日のギモン

[大石俊六]

(続)京都のビルはなぜくっついて建っているのか 
 以前http://mpress.exblog.jp/11492623/で、京都のビルはなぜぴったりくっついて建っているのかというギモンについて書きましたが、先日京都に行ったときにしつこく観察した結果、ギモンが晴れてまいりました。大阪から京都に向かったので、私は電車が大阪を出たところから車窓を凝視しました。まず分かったのは、
大阪のビルはくっついて建っていないが、東海道線だと向日町(京都のいくつか手前の駅)あたりからくっついた建物が出現し、京都市街に入るとやはり建物がくっついている。しかも隣同士の屋根が重なっている。
ということです。でもよく見ると次のようなことが分かりました。
・京都のビルでも本格的な鉄筋のビルは離れて建っている。
くっついて建っているように見える建物は実は一つの木造長屋で、それぞれが自分の所有部分をあたかも一戸建ての建物のようにデザインして、時には前面に鉄筋ビル風の外壁をくっつけているだけ(看板建築といいます)である。だからくっついて建っているというよりは、一つの建物を分かれているように見せているといったほうが正しい。
ということのようでした。とはいえやはり、どうみても別々に建てられた建物(屋根の高さが全然違うとか)がくっついている光景も結構見られます。これはどういうことなのか。
 京都の木造建築は隣同士の屋根を重ね合わせる慣習があるらしく、その際に低い方の家の屋根を隣の家にくっつけてしまうようでした。すき間ができたら板か何かでふさいでしまっていて、その際、前面の壁どうしの隙間なども板でふさいでしまいます。京都の木造建築はたいていこげ茶色なので、こげ茶色の板でふさぐとあたかも一続きの建物のように見えるのです。
 これでギモンは解消です。コメントいただいた皆さん、ありがとうございました。でもそうしてみるとこの現象は、東京のように震災や戦災で古い木造長屋が消失することがなかった京都ならではのものといえるかもしれませんね。
2010.02.01 09:57