Margueite Diary

年3回発行している『マーガレットプレス』のメンバーとその周辺の筆者による小さなコラム。過去のダイアリーはこちら→http://mpress.exblog.jp/

ノーロマンティック・ノーライフ

[岩﨑有加]

101123_0905~01.jpg
このダイアリー、始めた今年3月あたりから、テレビ版SATCのDVDを
観る旅に出たわけなんすけど。
先日、とうとう終了してしまいました。

「しまいました」と、書くのは、さみしさ満点だからで。
まわりのみんなからは、ことごとく、
「もう、いいかげんに終われよ」と、言われてましたけども。
終わりたくないよと、終わらないでいてくれよと、
シーズン6あたりから、残り少なくなってしまったエピソードを、
目に焼き付けつつ。

最後。やっぱ、泣きました。←爆発

だれかれかまわず観た方がいいよ、とは、いわないけども。
世間ではね、もう、ちょっと遅れた感じですけど。
関係ないから「流れ」とか!

DVDを貸してくれた、あたしの花のレッスンの生徒さんが言ってた
「センセイ、テレビ版観てからの映画版は、感動の度合いが違うから、
絶対、観なきゃだめです!」って言葉。

再び、映画版観てないすけどね、これね、観たらね、やばいと思いますよ。
彼女たちの、ニューヨークでそれぞれ出会った数年間におよぶ物語を、
知ってしまったら。。。。。
ただ、ポンと、映画版観た時とは、違うに決まってるって。
もう、勝手に感情移入だから。←前のめり気味に
彼女たちの背後にある物語がどわーっとなだれ込んでくるに違いない訳で。

「物語」っていう言葉。
ここ数年、よく目にします。ストーリーとかね。
宣伝広告なんかにも、ね。

力のある言葉です。
心惹き付けられる言葉です。

どんな人やモノにもこの「物語」っていうのがあって。
どういった切り口で語るかによって、だいぶ印象が変わる。
そして受け手によっても、語り手の意図していたところと
全く違ったところに着地することも、しばしば。


昔、友人の精神科医があたしに、
「自分の物語を大切にしたほうがいいよ」って、言ってくれたとき、
特に、恋愛事でしたけども、すり減らしておりまして。
あたしは相当、悩んでて。
疲れて、やさぐれて、弱りきって、もちろん泣いて、みたいなね。
20代後半の頃で。
とても励まされた思い出があります。


自分の身に起きた事を、客観的にどう解釈して、人にどう語るのか?
それによっては、聞き手のリアクションも随分と変わるわけで。


いつだったか、また別の年上の男子の友達が言ってくれた、
「ネガティブに自信なく話すから、まわりは心配して、同情したり、
引き止めたりするんだよ、自分が楽しいだとか、嬉しいんだっていう
雰囲気で話せば、『ああ、そういうことね!いいじゃん』で、済むんだよ」って。

どこをどう切り取っても、
「やー、だめでしょ、この人じゃ」っていう男子、
好きになっちゃったとします。
パーソナリティとか社会的な立場とか、含めて。
だけどそれは、あたしじゃない、別の誰かの物差しや、
ざっくりとした、世間の物差しで計っていることであって、
あたしの物差しじゃあない。

星占いみたいな統計学的なことでいっても、
9割9分、合わないよ、無理だよ、なことだったとしても、例外はあるわけで。

この、「例外はあるわけで」っていうのにねー、いやに賭けようって、
思い込んじゃうことでね、遠回りを続けてるわけなんすけどね。

仕方ないよね、恋してしまったらね。
自分には例外あんだよ、みたいに、思うんだよね。
根拠ない、おかしなエネルギーが湧いて出てくる。
急に、特別扱いになってね。
宝くじ当たっちゃう気がしちゃってるのと、似てるよね。
そんでもって。

それが、恋!!!!!それが、あたし!!!!!

って、信じてきたけれど。。。。。


「人は呼吸するように日々物語を交換しあってる」って、
やっぱり精神科医の友人に数年前に言われて。

「あたしはこう!こういう人なのよ!」
もしくは「こういう物語なのよ!」って決めつけてかかると
「物語が固まってしまうんだよ」って、言われました。


呼吸するように、当たり前に、人々はそれぞれの物語をやりとりして、
時に焼き直したり、時にもっと強くその物語を大切に心にとめる。

時間とともに、少しずつ変化しながらも、終わることなくずっと。

信じた事があるのは大事なこと。
ただ、それだけではないということ。

キャリアやプライド、はたまた過去の苦い経験によって、
硬直してしまう思考回路に、
さっと風が吹くように射し込む言葉があって。
あるところから舞い込むようなことがあって。
それは目の前の人からかもしれないし、
ぱっと開いた本の一行かもしれないし、
すれ違いざまの知らない誰かかもしれないし、
街の看板の文句かもしれない。

そして、それを受け止めるタイミングっていうのもあって。


「何事も決めつけちゃいけないよ」って、
お世話になったカフェのママに、言われたこともありましたっけよ。

そんときは、「そうですねえー」とか、なんとなく返事してたんすけど。
今はまたちょっと、深いところで「そうですねー」って、言うかなあー。

そうなると、まあ、悩みも多くなる。
決めてかかれないことが、はっきりと選択できないことが、
定点があやふやになることが、ふたたび頭かかえることになる。

そして、あたしは、カウンターに座る。←苦爆死

工夫と、ユーモアと、勇気をもって。
この3つ、もってりゃ、人生どうにかなるでしょ?!

どこにいくのか、なにが起きるのか、まだ知らされてないもんでね。
困ったときは、また、カウンターに座ればいいんだからさ!

けれども、そんなとき、
「あたし、どうしたらいいんだろおーー。。。。。?」
なんて言われても、マスター、知らねーつーのよ。
「そんなあたしに、ぴったりのカクテル、お願いします!」
お水のんで、寝ろよって、思いますよ。

まるで意味のない、その場限りのつぶやき、っていうかぼやき?
繰り返しながらも、物語の交換を続けていくんでしょうかね?

ハッピーエンドを目指さなくても、ハッピーエンドな物語に、
書きかえればいいわけで。
それが、自分自身の物語だと、言えてしまえばいいわけで。
いつもじゃなくても、たまにそんなことがあるだけで、
そんぐらいで、いいんでないのか?

やる気、ないわけじゃないんすよ。
ただ、実際、現場でてみないとわかんないことの方が多いから。
計画たてたり、注意はらったりっていうのも必要ですけど。

想像以上の、経験値外の、そういった出来事に、
めぐりあっていくわけだから、これからも。
生きていれば。

結局は、出たとこ勝負で。
どうしたらいいかは、そんとき考えよう。
自分にぴったりのカクテルなんか、最初からないんだわ。
どう味わうかって、話なんだわ。

なんつって、とりあえず、自分を励ましてやろうと思います、今夜は。


そんでは、本日の曲のコーナーいってみましょう!
どぞっ。

http://www.youtube.com/watch?v=eimjmlWiP9I
2010.11.29 07:25