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思いつきと巡り合わせで生まれる「小さくて特別なもの」。

小さな窓を開けることー畑尾和美さんとの往復書簡 6(最終回)

村椿菜文様 

 「なんで朗読をするんやろう」何度か回数を重ねて、ひと息ついた今、まさに、そのことを考える時がきています。
 「朗読」という言葉では硬く感じてしまうのですが、文章を声で表現する活動をしていると、母の口伝いに教えてもらった唄や、おばあちゃんが戦時中の満州にいた頃の話をしてくれたのを思い出します。普段、私は京都の日本茶の喫茶室で働いているのですが、お客様のお話を聴きながら勝手に自分の記憶の景色に重ねて想像をするんです。手取り足取りに丁寧な情報として伝えることも必要ですが、耳でひろった言葉から五感を働かせてイメージすることも大切なのかもしれない。「畑尾さんの家族と会ったことがないのに、お父さんやお母さんがサザエさん一家のように頭の中で動いていました」「一緒に山を歩いている気分になりました」と、朗読会に足を運んでくださった方から、参加してくれたことが伝わってくる感想をいただいて、そう考えるようになりました。本という形で詩や言葉を伝えることに「どうしてなんだろう」と考えないのと同じように、私たちが人前に立って朗読をしていくことで、声で表現することも誰でもが気軽にできて身近に感じるようになるんじゃないでしょうか。もちろん、そのためには誰かがアクションをし続けること。小さな窓でもいいから気持ちを共にして、謙虚に真面目に開いていきたいですね。そして、何でもそうですが、とくに朗読会は自分ひとりでは行うことができません。人との関わりの中で生まれる時間だからこそ、その日のために丁寧に気持ちを注いでいきたい。改めて、そう思います。
 菜文さん、私もいつか自分の本を出版したいと思っています。それは「声の本」です。どんなイメージが膨らみますか? まだ、どういったものができるのかわかりませんが、朗読を続けていくことで何かが見えてくるんだと思います。誰かがそっと教えてくれるような気もします。そんな形のない夢に向って、また気持ち新たに自分の足元を見つめながら歩いていきたいです。
2010.01.23 10:02